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京浜急行港町駅で美空ひばり「港町十三番地」歌碑発表式典

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3月1日(金)、京浜急行電鉄港町駅にて美空ひばりの「港町十三番地」の歌碑の発表式典が行われた。同駅は日本のレコード発祥である日本コロムビア川崎工場がかつてあり,「コロムビア前駅」と称されていた音楽と繋がり深い駅。さらにはコロムビアレコード所属の美空ひばりの代表曲である「港町十三番地」が、この地をイメージされ創られたことから今回の歌碑の建立に至った。

日本コロムビアは1910年に日本蓄音機商会として設立され、川崎の同地に工場を建設。1931年には東洋一のコロムビア・マークのネオン塔が完成し、多摩川沿いに光るネオンは当時の注目を引いた。1957年、美空ひばりの「港町十三番地」が発売され大ヒット。川崎工場の住所は港町九番地であったが、作詞家の故・石本美由起のゴロ合わせで十三番地にしたという逸話が残っている。
2007年、日本コロムビアは工場機能を静岡に移転。川崎工場は閉鎖となった。現在、同地を管理する京浜急行電鉄が同駅前に建設したトリプルタワーマンション「リヴァリエ」の入居開始に合わせ、同駅のリニューアルを計画。京浜急行電鉄が港町駅に日本コロムビア川崎工場があったことを全面で紹介したいとの意図から、同社と川崎市、日本コロムビア(株)の3社で、昨年夏過ぎから企画を開始。川崎市も同地が掲げるキャッチコピーである「音楽のまち・かわさき」の地域資源とするべく全面的に協力。音楽一色の駅舎にしたいと、歌碑だけでなく、コロムビアレコードの歴史をつづるジャケット写真のパネルの設置や、駅舎内の階段と下り線ホーム壁面(13m)にも「港町十三番地」のメロディ譜面がデザインされている。

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130308A_2130308A_3歌碑には発売当時のレコードジャケットと歌詞に合わせ、1982年当時の等身大148cmの美空ひばりと実寸の手形とサインが描かれ、歌碑に埋め込まれたボタンを押すと、内臓のスピーカーから美空ひばりの「港町十三番地」の歌唱が90秒流れる。また、駅での駅メロディも「港町十三番地」に変更される。1989年、美空ひばりが亡くなってから、今年で24年目。今回の歌碑で、全国で8基目の歌碑建立となった。
京浜急行電鉄(株)の石渡社長は「ここ港町駅は昭和7年に「コロムビア前駅」として開業し、昭和19年に名称を現在の「港町駅」と改名いたしました。今回、駅舎を新たにリニューアルすることといたしましたが、これを記念いたしまして、美空ひばりさんのヒット曲で、この地をイメージして作られたといわれている「港町十三番地」の歌碑をここ港町駅に設置することができました。ぜひ、多くの方々が川崎大師さんへのご参詣ともども、こちらの歌碑を訪れていただければと思います。」と語った。
阿部孝夫川崎市長も「川崎大師駅と川崎駅の間に新しい名所ができた。かわさきは音楽の街づくりを進めております。その筆頭はこの「港町十三番地」と述べると、ひばりプロダクションの加藤和也社長は「母の歌碑をこのような素敵な場所に立てていただきまして、ありがとうございます。母は横浜で生まれ、歌手を目指し、横浜の屋根なし市場でみかん箱の上で、歌っているところを古賀政男先生に見込まれまして、日本コロムビアさんと契約することとなりまして、そして、平成元年、亡くなるまで、日本コロムビアさんと二人三脚でずっと活動させていただいてまいりました。そして、今でも生きたプロモーションをひばりプロダクションとともに一生懸命、生きたレコードをまだ作っていただいています。こちら、川崎の工場から、魂のこもったレコードがここから出荷されて皆様の手元に行ったのかなと思うと、感無量であります。そして、美空ひばりの代表曲となりました「港町十三番地」。そのモデルとなったのが、港町だということで、美空ひばりとは切っても切れないこのようなすばらしい場所、そして素敵なこの駅に、毎日通る方々にここで母の曲と母の顔を見ていただけるということはとても嬉しいことだと思います。本当に関係者の方がたにはこの場をお借りしまして深く感謝をさせていただきます。ありがとうございます」と語った。
その後、加藤が歌碑のボタンを押して、「港町十三番地」の歌唱が流れると、「すごい駅ですね。こちらで毎日乗降されるお客様が、この歌碑の前を通っていただけると思うと、感無量です。皆さん、ぜひ、ボタンを押して、「港町十三番地」を聞いていただけたらと思います」と語った。
歌碑の序幕のあとは、日本コロムビア所属のクラシックユニット「1966カルテット」が「港町十三番地」を演奏して華を添えた。「1966カルテット」は江頭美保(Piano),松浦梨沙(Violin),花井悠希(Violin),林はるか(Cello)からなる女性クラシックユニット。ビートルズが来日した年「1966」をカルテット名に冠し,クラシックのテクニックをベースに、ビートルズを始めとする洋楽アーティストのカバーを主に行っている。今回は1966年が美空ひばりの「悲しい酒」が大ヒットした年でもあることから、同じレコード会社の大先輩の歌碑序幕に協力することとなった。

 京浜急行電鉄(株) 石渡恒夫氏
「京浜急行は今から115年前の明治31年2月、関東で最初、全国で3番目の電気鉄道・大師電気鉄道株式会社として設立されました。当初は川崎大師さんへの参詣客を運ぶことを主な目的として現在の京急川崎駅と港町駅の間にあった六郷橋から大師さんまでの2kmほどの路線の経営でございましたが、大師さんのおかげもあり、今日のような京急電鉄にまで発展することができました。ここ港町駅は昭和7年に「コロムビア前駅」として開業し、昭和19年に名称を現在の「港町駅」と改名いたしました。今回、駅舎を新たにリニューアルすることといたしましたが、これを記念し、川崎市様、日本コロムビア様、ひばりプロダクション様はじめ多くの関係者の皆様にご協力いただき、美空ひばりさんのヒット曲で、この地をイメージして作られたといわれている「港町十三番地」の歌碑をここ港町駅に設置することができました。なお、日本コロムビア様は日本で最初のレコード会社と聞いております。そのレコードを作っていたのが、ここ港町の工場ということで、「音楽のまち・かわさき」の原点がここにあるともいえることになります。ぜひ、多くの方々が川崎大師さんへのご参詣ともども、こちらの歌碑を訪れていただければと思います。さらに、リニューアルに伴い、歌碑だけでなく、駅のいたるところに、音楽をテーマにしたデザインを入れております。階段に音符や、この地で作られたレコードの歴史パネルなど、お楽しみいただきたいと思います」

川崎市長 阿部孝夫氏
「川崎大師駅と川崎駅の間に新しい名所ができた。川崎は観光事業を始めたのは平成16年に初めて観光案内所ができた。かわさきは音楽の街づくりを進めております。平成16年の7月1日、川崎市制80周年の記念の時に川崎駅西口にミューザ川崎シンフォニーホールがオープンし、川崎全体を音楽の街としてはじめた。その筆頭はこの「港町十三番地」。また、川崎は坂本九さんが生まれ育った町であり、名指揮者の小澤征爾さんが育った町でもあります。音楽大学も二つあり、川崎は間違いなく音楽の町であるということで、音楽の街づくりを始めた。今後も音楽の街づくりにご協力いただければと思います」

(株)ひばりプロダクション代表取締役社長 加藤和也氏
「母の歌碑をこのような素敵な場所に立てていただきまして、ありがとうございます。母は横浜で生まれ、歌手を目指し、横浜の屋根なし市場でみかん箱の上で、歌っているところを古賀政男先生に見込まれまして、日本コロムビアさんと契約することとなりまして、そして、平成元年、亡くなるまで、日本コロムビアさんと二人三脚でずっと活動させていただいてまいりました。そして、今でも生きたプロモーションを(株)ひばりプロダクションとともに一生懸命、生きたレコードをまだ作っていただいています。こちら、川崎の工場から、魂のこもったレコードがここから出荷されて皆様の手元に行ったのかなと思うと、感無量であります。そして、美空ひばりの代表曲となりました「港町十三番地」。そのモデルとなったのが、港町だということで、美空ひばりとは切っても切れないこのようなすばらしい場所、そして素敵なこの駅に、毎日通る方々にここで母の曲と母の顔を見ていただけるということはとても嬉しいことだと思います。本当に関係者の方がたにはこの場をお借りしまして深く感謝をさせていただきます。ありがとうございます」

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