トップページ 特集 特集:筒美京平の時代 - 草野浩二氏に訊く、筒美京平の魅力

特集:筒美京平の時代 - 草野浩二氏に訊く、筒美京平の魅力

[特別インタビュー]
音楽プロデューサー草野浩二氏に訊く、作曲家筒美京平の魅力

取材・文/竹部吉晃 公開日:2013.02.08

2012年12月26日にリリースされたレコードメーカー6社合同企画のコンピレーションCD『筒美京平 GOLDEN HITSTORY』に企画者としてクレジットされている草野浩二氏。日本のポップス黎明期より、数多くのヒット曲や歌手を手がけてきた日本を代表する音楽プロデューサーとして知られている氏は、筒美京平氏が作曲家活動を始める以前より懇意にされ、60年代初頭から関わりをもってきた。その草野氏に、今回の『筒美京平 GOLDEN HITSTORY』の制作経緯や筒美京平氏との思い出、さらには作曲家としての大いなる魅力についてうかがった。

--昨年12月26日にリリースされたレコードメーカー6社合同企画のコンピレーションCD『筒美京平 GOLDEN HITSTORY』に関わることになった経緯から教えていただけますでしょうか。

草野:EMIからリリースされている歌謡曲の作家別アンソロジー"昭和ヒット・メーカーズ"というシリーズを手がけていて、そこで、中村八大さんや永六輔さん、いずみたくさん、岩谷時子さん、鈴木邦彦さん、山上路夫さん、川口真さん、橋本淳さんといった作家の作品集を作っていたんです。でもなぜ筒美京平さんの作品集をやらなかったのか、というと、その10年前にソニーから豪華なCDボックスが出ているし、京平さんはあまりにも曲数が多すぎるから、とてもじゃないがレコード会社1社ではまとめられない。だったら何社か合同で一緒に出せばいいんじゃないかと考えて、ユニバーサルに相談をしたら「他社にも話してみましょう」ということになり、最終的に6社にまとまった。ソニーは今年新たなボックスを予定しているという理由で今回の企画には参加していないけど、基本的に昔から京平さんと仕事してきたレコード会社が参加することになりました。だから今回は"企画・草野浩二"とクレジットされているんです。EMI編とユニバーサル編は僕と鈴木(啓之)さんで選曲して、他の4社はウルトラ・ヴァイヴの高(護)さんにお願いした。すべてのアルバムが面白い選曲になっています。

--最初は1社だったものが徐々に増えて、最終的に6社でやることになったというのは面白いですね。

草野:それは京平さんが、いかに各社でヒット曲を出してきたかということ。最初の頃はコロムビアと東芝EMIくらいでしか仕事してなかったけど、すぐにビクターやポリドールでも仕事をするようになって、70年代から90年代にかけては、いろんなレコード会社で鬼のように仕事をしていた。だから各レコード会社に財産がある。

--草野さんが最初に筒美先生と出会ったのはいつごろか覚えていますか。

草野:63年?か64年だね。すぎやまこういちさんの家で会った。当時、すぎやまさんはフジテレビの社員で、人気番組「ザ・ヒットパレード」を手がけるディレクターだった。僕が担当していた歌手が「ザ・ヒットパレード」に出ていたから、毎週放送日の火曜日にフジテレビに行っていて、スタッフと仲良くなるうちに「家に遊びにこいよ」と誘われるようになり、すぎやまさんの家に行くようになって、そこで京平さんと知り合った。その頃、番組のスタッフがすぎやまさんの家に集まって、ゲームで遊んでいて、僕はそこでバックギャモンもモノポリーを覚えたんだ(笑)。京平さんはあまりゲームに興味がなかったみたいで、ゲームはしていなかったな。京平さんは橋本淳さんに連れてこられて、音楽理論の勉強とすぎやまさんのためのピアノ弾きみたいなことをしていた。

--すでに大作曲家の片鱗のようなものは感じましたか。

草野:京平さんがすぎやまさんの家でアレンジの勉強をしていたとき、(橋本)淳さんが「この人がこういう曲を書いたんだけど」といって持ってきたのが「黄色いレモン」。「じゃやろう!」ということになったのだけど、淳さんはこの曲をいろんな所へもって行っていたから、結局競作になって、ポリドールは藤浩一、東芝EMIは望月浩が歌った。当時はまだ筒美京平という名前はなくて、本名の渡辺栄吉としてポリドールに勤めていたから、内職がバレないように名前を借りて、この曲のクレジットは「作・編曲:すぎやまこういち」になっている。何年か後に名前を戻したけど。

--それから一緒に仕事をされるようになったんですか。

草野:「黄色いレモン」のとき、京平さんから「ポリドール辞めて作曲家になっても食っていけるだろうか」という相談を受けたことがあった。僕は京平さんの才能を認めていたから、「ほかのレコード会社の知り合いに声をかけて、みんなで京平さんのために何かしら仕事を作ってサポートするから」と言って、会社を辞めることになった。だからフリーになって初期の頃はインストゥルメンタル・アルバムのアレンジだけの仕事を各社でいっぱいしていると思う。



MEG-CDにて発売中!

--確かにアレンジだけ筒美先生というのがありますね。

草野:まだ、海のものとも山のものとも分からない存在だったけど、僕は彼の音楽的才能を見抜いていた。人柄も良かったし、この人を何とかしようと思った。それで、筒美京平として活動をはじめてから、僕が手がけていた奥村チヨや尾藤イサオのために曲を書いてもらった。それほど売れはしなかったけど、チヨの「あなたに逢いたい」や「涙いろの恋」は今でも名曲だと思う。今誰かにカバーしてもらいたいくらい。

--筒美先生とはどんな仕事のやり取りをしていたんですか。

草野:歌手のキャラクターやイメージを伝えるくらいで、曲調についてのリクエストはあまり言わなかった。初期の頃は「とりあえず、この歌手に何か書いてよ」って感じで頼んで、出来上がったものについていろいろ注文つけたりした。でも後半になってくると、京平さん自身もコツをつかんできたから、出来上がったものに対してこちらが何か言うこともなくなった。

--70年代に入って、多くのヒット曲を手がけるようになった筒美さんの活躍を見て、どんな印象でしたか。

草野:自分の見る目があったということ。それまで僕が仕事してきた作家は、中村八大さんや永六輔さん、いずみたくさん、宮川泰さんや前田憲男さんという一流の人とばっかりだった。それが、京平さんのような若手の作家と仕事をするようになって、レコード会社のディレクターには作家やスタッフを育てる仕事もあることを思いはじめた。

--同年代だからやりやすかったというのもありますか。

草野:僕のほうが2つ上だけどね。あとは、すぎやまさん、橋本淳さんというキーマンが取り結んでくれたというのも大きい。

--仕事以外でも一緒にいることは多かったんですか。

草野:京平さんとの思い出というと、美味しいものを食べ歩いたことかな。そこで最近聴いた音楽の話とかして。あの人が買うレコードの量はハンパじゃなかった。洋楽も邦楽も気になるレコードはすべて買って聴いていたと思う。

--筒美先生は曲を作るのは早いんですか。

草野:早い。特に最初の60~70年代はアレンジも全部自分でやっていたから。アレンジをするってことは、サウンドやイントロ、間奏を考えなきゃいけないわけだから、作曲より時間がかかる。でも僕は「曲もアレンジも京平さんじゃなきゃ嫌だ」って言っていたからね。すごく忙しくなって、アレンジまで手が回らなくなったときは、他の人に頼むこともあったけど、ここぞというときの曲は「京平さんのアレンジでお願い」って言っていた(笑)。

--あれだけの仕事を受けていたことに、驚いてしまいます。筒美先生は仕事を断わらない性格なのでしょうか。

草野:僕は京平さんに仕事を断わられたことはない(笑)。

--草野さんが依頼した曲は詞が先だったんですか。

草野:僕は詞先が好きだった。なかにし礼さんとやるときも、詞先でやっていたと思う。でも(橋本)淳さんと仕事するときは、2人でどうやって作るかをやり取りしていたんじゃないかな。

--京平先生はレコーディングのときには、現場にいらっしゃっていたんですか。

草野:来ていました。京平さんは曲を渡すだけというほど無責任な人じゃない。ただ、レコーディングの時間が今と違って、1曲1時間みたいな世界でやっていたから、例えば夜の6時から9時まで東芝EMIで拘束されても、その後の10時から12時までは他の会社が拘束できるわけだからね。

--ということは、常にスタジオにいらっしゃった、と。

草野:曲を書いているかスタジオか、だったろうね。

--草野さんが考える音楽業界における筒美先生の功績について、お訊かせいただけますか。

草野:京平さんがいなかったら、今のJ-POPと称する音楽は変わっていたと思う。吉田拓郎さんがどっかで書いていたけど「自分が好きになった曲は、作家の名前を見ると全部、筒美京平だった」。そういうニューミュージック系の人たちにすごく大きな影響を与えていると思う。昔、京平さんはあまりに世の中に出てこないから、筒美京平っていう人物は存在しなくて、ユーミンと山下達郎さんと財津和夫さんが合作しているんだっていう都市伝説や噂が出るほどだった。考えたら、それくらい京平さんの作風の幅が広いってこと。有名なアーティスト3人で京平さんひとりと思われたのはホントにすごい。

--日本人それぞれの心の中に必ず筒美メロディが流れていると思います。

草野:古賀メロディや吉田メロディと同じように、将来必ず筒美メロディっていうのも確立すると思う。どんなに時代が変わっても、京平さんの楽曲は絶対消えない。京平さんの曲こそ、もっとみんなにカバーしてほしいくらい。でも、他の人と比べて京平さんの曲はカバーしにくいのかもしれない。オリジナルのインパクトが強すぎるんだろうな。完成度が高いというか、カバーする隙間があまりないんだと思う。

--最後に、筒美京平先生の曲が今でも魅力的で、広く聴かれている理由を、どう分析されますか。

草野:どこが魅力かって、具体的にうまく言えないんだけど、京平さんの書く曲にはヒットのヘソみたいなものが必ずある。そのインパクトが強い。1曲の中の32小節全部は覚えてないけど、ここの4小節だけは印象に残るっていうのが、どの曲にもある。

--草野さんが思い出に残っている曲はどの曲になりますか。1曲に絞るのは難しいでしょうが。

草野:初期の曲だったら、さっき言った奥村チヨの「あなたに逢いたい」と「涙いろの恋」だね。チヨのファン以外はあまり知られていないけど、すごくいい曲なんだ。再評価してもらいたいよ。

草野 浩二(くさの こうじ)

音楽プロデューサー。1937年東京生まれ。60年に東京芝浦電機レコード事業部(現・EMIミュージック)入社。 坂本九や弘田三枝子の担当ディレクターとして、カヴァー・ポップス黄金時代を築く。その後も奥村チヨ、渚ゆう子、ゴールデン・ハーフ、欧陽菲菲、安西マリアら、多くの人気歌手 を発掘・育成した。91年に退社後はファンハウスに在籍。96年からはフリーとなり、ステージやテレビなどへも活動の場を広げている。

 

『東京レコード散歩』2017年2月22日発売。東京にちなんだ曲だけを収録したコンピレーション・アルバム『東京レコード散歩』第二弾がレコード会社3社から同時発売!

ラジオ歌謡選抜

CDJournal

TWITTER

  • now loading...

disk union 昭和歌謡館