トップページ 特集 堀江淳 4年ぶりの新曲リリース 今の時代に必要とされている詩曲「花ひとつ夢ひとつ」

堀江淳 4年ぶりの新曲リリース 今の時代に必要とされている詩曲「花ひとつ夢ひとつ」

歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー

堀江淳 4年ぶりの新曲リリース
今の時代に必要とされている詩曲「花ひとつ夢ひとつ」

取材/ 鈴木啓之、取材・文/竹部吉晃 公開日:2013.05.01

堀江淳が4年ぶりの新曲「花ひとつ夢ひとつ」を4月17日に発売した。もともと同曲は数年前に、ある歌手のために俳優の西田敏行が歌詞書き、堀江淳が曲をつけて作られたもの。その後、企画自 体が立ち消えとなり、お蔵入りになってしまったが、数年前より堀江が自身のツアーで"蔵出し"と称して歌いはじめると、多くのファンから好評を獲得。その評判が関係者の耳にとまり、NHKラジオ第1『午後のまりやーじゅ』の音楽コーナーで月~木曜に「ユアソング」として放送されることが決まったのだという。自ら「今の時代に必要とされている詩曲」という新曲「花ひとつ夢ひとつ」についての詳細はもちろん、堀江淳といえば1981年の大ヒット曲「メモリーグラス」の制作秘話、そしてシンガー・ソングライターというよりも職業作家に近い彼の作風の背景にあるものを聞いた。

--まず、「花ひとつ 夢ひとつ」が作られた経緯からお聞きしたいのですが。資料によれば、堀江さんは当時のことは何も覚えていないと言うことですが……。

堀江:そうなんです。この曲を作ったときのことはほとんど記憶にないんです。正確な年月は分からないんですが、このデモ音源はMDに入っていたので、そういうことから想像すると15年以上は前でしょうか。

--確かにMDが頻繁に使われていたのは15年くらい前ですかね。

堀江:そうですよね。そもそもこの曲を作るきっかけは、プロデューサーの方からある女性歌手に歌ってもらう曲を作ってほしいという依頼でした。お受けした時点ですでに西田敏行さんが書かれた歌詞があって、その歌詞のイメージに沿って僕がメロディを付けたんです。自分で録ったデモをプロデューサーに渡したんですが、少し経ってその企画自体がなくなってしまったんです。その女性歌手が「花ひとつ 夢ひとつ」をレコーディングしたのかどうかさえ、今となっては分からないのですが……。

--その後、少し時間が経ってから、ライブで歌いだしたと?

堀江:せっかく作ったのに、その企画はなくなってしまった。でもいつか自分で歌う日が来るんじゃないかと思って、そのとき録ったデモを大事に取っておいたんです。それで数年前にうちのスタッフが西田さんの事務所に行って、「こういう曲があったのを覚えていますか?」と確認したんです。西田さんも「詳しいことは忘れたけど、なんとなく覚えている」と。そこで承諾をいただいて、僕の曲として歌わせていただくことになったんです。

--ライブでの反応はいかがでしたか。

堀江:前から歌えば評判は良かったんですが、特にここ1、2年で共感してくれる方が増えてきました。アンケートでも「西田さんが歌詞を書いたという曲がよかった」という反応が徐々に多くなっていったんです。ライブではぼくのギターの弾き語りで歌っていたのでより歌詞が届きやすかったというのもあったのではないでしょうか。

--その流れでNHKの方の耳に止まったわけですね。

堀江:そうしたら、すぐにNHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」の4月と5月ユアソングに決まって、CDをリリースすることになったんです。すぐにレコーディングに取りかかったんですが、発売が間に合うかな? っていうくらい急な話でした(笑)。でも、すべてが自然の流れで、すごくいいタイミングだったと思います。何年も寝かせてきた曲が、今回満を持して世の中に出ることになりました。

花ひとつ 夢ひとつ

西田敏行作詞・堀江淳作詞による新曲
「花ひとつ 夢ひとつ」
2013年4月17日発売

ビクターエンタテインメント
VICL-36779 / ¥1,200(税込)

amazonで購入する

詳しくは、歌謡曲リミテッドNEWSにて。

--当時のデモテープがすごく重要だったわけですね。

堀江:デモがなかったら、この話はなかったでしょうね(笑)。ライブではたまに歌ってはいたんだけど、音源という形にはなっていなかったですからね。

--なぜ、この曲がお客さんの心を打ったのか、ご自身ではどう理解していますか。

堀江:郷愁に浸れる曲だったんじゃないでしょうか。最初に曲を書いたときも、昭和の匂いがする、我々の世代の方が聞いて心が落ち着くメロディを付けようと思った記憶があります。でも、この歌詞を最初に読んだのは少なくとも10年以上前で、そのときの自分はこの歌詞を十分に理解していたのかというと、そこは分からないです。

--大人の恋の歌ですよね。

堀江:それと時間の流れがある歌詞ですよね。「夢をみていた頃のおさなさが恋しくて」というところに現れているように、前半ではまだ若くて幼い男の淡い恋心が描かれています。徐々に大人になって恋は何かを知っていくうちに「恋のつらさ」を理解していく。そして、会えば会うほど幸せが悲しくなる。このフレーズは本当に素晴らしいですよね。

--時系列になっているんですね。

堀江:普通は、間奏明けのリフレインのところは一番のサビの歌詞を繰り返すパターンが多いんですが、そうしてしまうとこの歌詞は時系列が合わなくなってしまう。だからこの曲では、二番のサビをもってきて、あとは別のメロディのパターンを作ったんです。

--なるほど。普通の作詞のセオリーとは少し違うわけですね。

堀江:西田さんは職業作詞家ではないから、構成的なことまで考えずに書いたんだろうと思うんです。だから、最後の歌詞フレーズをどのメロディに当てはめようとしてもうまくはまらない。最終的にそこだけは全く違うメロディにしようと思って作ったんです。その最後のメロディは作るのにはものすごく苦労しました。

--そこがこの曲のポイントのひとつになっていますよね。

堀江:僕がひとりで作詞・作曲をした曲なら、こういう構成にはならなかった。だから、逆にいい曲になったんじゃないかなって思います。この曲はいわゆる歌謡曲の作りですが、アジアンチックな要素や日本古来の響きを意識しています。最後の部分がまさに、そんな印象をもったメロディになっています。

--堀江さんはこの曲について、「今の時代に必要とされている詞、曲ではないか」と仰っていますね。

堀江:2年前の東日本大震災で日本国民全員が何かしらを感じたわけですよね。2年経っても、被災された方の心はまだまだ消えない。この間も石巻に行ってきましたが、復興にはまだまだ時間がかかるでしょう。まだまだ、これからやらなければならないことがたくさんある。一方、ツアーでいろいろな場所に行くなかで感じるのは、東北から遠く離れた土地の人は、震災についての実感は少ないけれども、何かをしなければいけないという気持ちは持っている。そういう人の心にこの曲が届いたんじゃないでしょうか。そういうことが僕のひとつの役割なんじゃないかと思います。

--「花ひとつ 夢ひとつ」のレコーディングはどのようにして行われたのですか。

堀江:昔録ったデモを土台として、そこに長年の付き合いのギタリストの江口正祥さんがアレンジしてくれました。彼は僕のことをだいたい知り尽くしているので、彼に任せれば間違いないだろうと言うことで、一度電話で話したくらいで僕はあまり口出ししませんでした。基本はギターをメインにアレンジしているんですが、そこにピアノを入れたいと言うことになって、そこでやはり長年の付き合いのピアニスト、YASU SUGIYAMAさんに声をかけて、生で弾いてもらったんです。そこにもぼくはほとんど口出しせず、3人の信頼関係でレコーディングしました。これも自然の流れでした。

--何かに導かれているかのように物事が決まっていたわけですね。カップリングの曲についてもお聞かせください。

堀江:CDとして発売することになったので、1曲だけというのもなんなので、あと数曲収録しようと言うことになり、「メモリーグラス」と「ありがとう」という曲を入れることにしたんです。「メモリーグラス」は数年前に、北海道出身のアーティストが持ち歌をセルフカバーするコンピレーションアルバムの企画があって、そのためにレコーディングしたアコースティックバージョンです。「ありがとう」は4年前にリリースしたシングル曲ですが、長い間多くの方に支持されている曲なので、もう一度収録したほうがいいんじゃないか、ということになったんです。

--とてもいいバランスになっていますね。「メモリーグラス」は今まで何度かカバーされているんですか。

堀江:以前、レゲエ・バージョンを出したことがあって、4年前の「ありがとう」のシングルでも新しくレコーディングしています。それで今回のアコースティックバージョンですね。

--「メモリーグラス」は堀江さんの代名詞となっている有名曲ですが、この曲に対する思いは年を重ねるとともに変わってきていますか。

堀江:20代、30代の頃と比べれば確実に変わってきています。でも、ずっと変わらないのは、自分で言うのもおこがましいのですが、なんて素晴らしいメロディと歌詞なんだろうということです(笑)。こんなメロディ展開の曲は作れないって思いますから。

--この曲はもちろん、堀江さんのほかの曲を聴いてもわかるのですが、堀江さんの作風はいわゆるシンガー・ソングライターのそれとは違いますよね。

堀江:自分の世界観を全面に出していく作風ではありませんでしたね。

--でも70年代のシンガー・ソングライターは自分の世界観が人気の秘訣でしたよね。堀江さんの作風は、そういった自己主張を前面に出したシンガー・ソングライターというよりも職業作家に近いものを感じます。

堀江:僕は中学1年のときにギターを始めたのですが、当時流行っていたビートルズやサイモン&ガーファンクルなどの洋楽ポップスの洗礼を一通り受けているし、日本の音楽に関しても加山雄三さんやフォークソングを一通り聞いていました。コードをある程度覚えてから、中学2年生のときに初めてオリジナルソングを作って、そこから作曲の楽しみを覚えていったんです。でもそのとき、誰かの影響というのはあまりありませんでした。いろいろな音楽は聞いていましたが、特定のアーティストを好きになることはなくて、楽曲単位で興味をもっていたんです。強いて言えばユーミンやオフコース、歌詞では中島みゆきさんが好きでしたが、それほど熱心に聞いていたわけではありません。自分が好きだった音楽のいいとこ取りで作曲をしていたと思うんです。

--最初に興味を持った音楽は覚えていますか。

堀江:自分のお小遣いで最初に買ったレコードはザ・タイガースの「青い鳥」。ザ・タイガースというと派手な曲を思い浮かべるかもしれませんが、あの曲はすごくメロディのキレイなバラードで、当時360円で買ったことをすごく覚えています。

--森本太郎作曲の名曲ですね。

堀江:すごく好きでした。子どもの頃、自分の父親が映画館の支配人をやっていて、家が映画館の隣にあったんです。小学校2年生くらいまで、まさに「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいな環境で暮らしていました。毎日のように映画を見ていて、そこで好きになったのが加山さんの「若大将シリーズ」でした。

--それは貴重な体験ですね。堀江さんの作風の理由が分かってきました。

堀江:その影響で加山さんの音楽が体にしみこんでいるというのはあります。あと、「若大将シリーズ」と同時上映していた怪獣ものも大好きでした。今でもよく覚えています。なかでもぼくは「大魔神」が好きでした(笑)。

--堀江さんの意外な一面を知った気がします(笑)。「メモリーグラス」についての話をもう少し教えていただきたいのですが。当時のレコーディング・エピソードで覚えていることはありますか。


『メモリーグラス』堀江淳

堀江:あの曲は当時のディレクターの意向で、すごく高いキーでレコーディングしたんです。フルコーラスで歌うと死んでしまうくらいのキー設定にされてしまったんです(笑)。ぼくにとって「メモリーグラス」はデビュー曲なので、あの曲をレコーディングしたときはまだアマチュアで、レコーディングがどういうものなのか全然知らないわけです。何も言えないままボーカルを録ったものがレコードになって、少し経ったらヒットしだしたので、その高いキーのまま人前で歌わなければならなくなった。当時、テレビで歌うときは声がひっくり返らないか、いつもヒヤヒヤしていました(笑)。とにかく、あのキーでレコーディングしたことを悔やんでいましたね。でも1年くらい経った後、キーを落として歌えばいいんだということ気づいて、半音落として歌うようになりました(笑)。

--そうだったんですね。女性詞ということについてはいかがでしたが。この点も話題になりました。

堀江:特に何かきっかけがあって女性詞になったというわけではなかったんです。当時は(松山)千春さんも女性詞で歌っていたので、自分では特別なことをやったということではなかったんです。普通のこととして捉えていて、女性詞だから恥ずかしいとも思ったことはないし。でもぼくの声は高かったので、それがうまくはまったんでしょうね。

--堀江さんの思う歌謡曲とは?

堀江:CDが普通に100万枚売れていた時代は、そのアーティストのことを好きなファンがCDを買っていた現象だったと思うんです。しかもそのファン層は若者に偏っていました。一方で高齢者の方が買える音楽は少なくなっていきました。お店も少なくなって、CDの買い方さえ分からなくなっていた。そういう時代の流れのなか、すべての世代が聞ける流行歌、つまり歌謡曲がすごく少なくなってしまった。いい楽曲がなくなってしまったわけではないのに、そういう音楽が届かなくなってしまいました。やはり、ヒット曲は広い世代の共感を受けるものであってほしいと思うんです。でも数年前、秋元順子さんの「愛のままで…」のようなヒットが出てきて、NHKの紅白に出た効果で翌年さらにヒットするというケースが生まれています。徐々にではあるけど、高年齢者に受ける曲が出てきている気がするんです。

--ヒット曲とは幅広い世代に支持されるものであってほしいですね。

堀江:世代を超えて口ずさめる曲が歌謡曲だと思いますので、そういう曲を世の中に残すことができるように努めたいと思います。今はこの曲で頑張ろうと思います。まずは多くの人に伝えることからはじめたいですね。それから、いろんな人に歌ってもらいたい。女性が歌ったバージョンも聞いてみたい。そして、いつか西田さんに歌ってほしいと思っているんです。西田さんとはお会いしたことがないんですが、変な縁を感じていまして、ぼくの「メモリーグラス」と西田さんの「もしもピアノが弾けたなら」は1981年のヒット曲で、とても近い時期にチャートインしていたんです。レコード会社も同じでCBS・ソニーでしたし。でも、「ザ・ベストテン」ではお会いしたことがないんです。調べてみたら、「メモリーグラス」がチャートから落ちた頃に「もしもピアノが弾けたなら」が入って来たみたいです。だから、今回のこともあって、西田さんとはすごく縁を感じているんです。

--西田さんが参加しているチャリティー曲も「花は咲く」で花つながりですよね。

堀江:しかも、どちらもNHK関連の曲です。「花ひとつ 夢ひとつ」はブームとは関係のないつくりだからよかったんだと思います。流行りの要素を入れていたら、こういう感じの盛り上がりにはならなかったでしょうね。とにかく、この曲を一生懸命多くの人に伝えて生きたいと思います。

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堀江淳

1979年、CBSソニーの第1回SDオーディションに合格し、1981年「メモリーグラス」でデビュー。 中性的な容姿・声も話題になり、デビューシングルは50万枚の大ヒットを記録する。オリコン最高3位。1994年、ビクターエンタテインメントへ移籍しアルバム「微風通信」をリリース。
1998年ユニット「spoon」を結成。ライブ活動やインターネットテレビへの出演、アニメ「ドキドキ伝説 魔法陣グルグル」のEDテーマを手がける等の活動を行ったが、2004年に活動休止。その後もソロで全国ツアーを行うなど、ライヴ活動を精力的に行っている。現在、「堀江淳のファインミュージックアワー」の冠番組を持ち、全国のコミュニティーFM 45局ネットで好評放送中!

公式ブログ「お湯割りをください。」:
http://ameblo.jp/jun-horie/
公式サイト:
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