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こまどり姉妹 18年ぶりのニューシングルはラーメン人生歌!デビュー55周年を迎えたこまどり姉妹スペシャル・インタビューこまどり姉妹がまたやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー

こまどり姉妹
18年ぶりのニューシングルはラーメン人生歌!
デビュー55周年を迎えたこまどり姉妹スペシャル・インタビュー
こまどり姉妹がまたやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!

取材・文/鈴木啓之 取材協力/衛藤邦夫(日本コロムビア) 公開日:2014.04.09

流しの双子姉妹として脚光を浴び、1959年にレコード・デビューしたこまどり姉妹が、96年の「二度目の春を信じます」以来、実に18年ぶりとなる新曲「こまどりのラーメン渡り鳥」をリリース。かつて歌った「涙のラーメン」に続いて、ふたりにとって想い出深いラーメンを題材に、ヒット曲「ソーラン渡り鳥」の遺伝子も組み込まれて、ユニークかつ感動を呼ぶ傑作が出来上がった。さらにデビュー10周年時に出されたアルバム『こまどり物語』も復刻されるなど、55周年の記念イヤーが盛り上がりを見せている。大ベテランとなった今もすこぶるお元気なおふたりに、懐かしいあの頃の話、あんな人とのとっておきのエピソードなどをたっぷりとご披露いただいた。

--18年ぶりの新曲「こまどりのラーメン渡り鳥」についてお聞かせください。

敏子:最初に音を聴いた時はびっくりしました。いい歌だなと思いましたね。これまでは自分たちで歌ってみたいなと思えない曲だと、せっかくいただいてもおことわりしちゃうすることもあったりしたんですよ。ところが今回の曲は聴いた途端にワーッと思って。

栄子:私たちの今の心境がしみじみと表現されていて、すっと入ってきたんですね。詞といいメロディといい、ほのぼのとした感じで。明るくて重たくなくて、これはありがたいと思いましてね。

敏子:私たちの今の心境がしみじみと表現されていて、すっと入ってきたんですね。詞といいメロディといい、ほのぼのとした感じで。明るくて重たくなくて、これはありがたいと思いましてね。

栄子:今の齢で歌ってもおかしくないんじゃないかと思ったんです。私たちの齢でいまさら恋の歌とか歌ってもダメでしょう? これだったらいいんじゃないかと。お客様の前でこのタイトルを言うと、ドッときますね。イントロでチャルメラの音色が鳴るとまた受けて。よっぽど皆さん受け入れて下さっているのね。よかったなと思ってます。

--映画「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」でもラーメンのお話をされていましたが、おふたりにとってやはりラーメンは重要なアイテムでしょうか。

敏子:そうです。昭和26年に東京へ出てきた当時、流しの仕事が夜中の2時か3時に終わって木賃宿に帰ってくると、屋台のラーメン屋さんが通るわけですよ。それを呼んで、1杯じゃ済まなくて、1人2杯は食べました。その頃はなんとか自分のお金で食べられるようになってましたから。それはもう美味しかったですね。私たちはラーメンで育ったようなものでしたよ。

栄子:あの頃は支那そばっていってましたけど、まだ醤油味だけで、今みたいにお肉の脂で出汁をとったりたくさん具材が入ってたりするわけじゃなくて、とてもシンプルで。せいぜいナルトやシナチクが入ってるくらい。でも美味しかったですねえ。

--そもそも「涙のラーメン」という曲を歌ってらしたんですね

敏子:フジテレビで『ふたりぽっち』という私たちの生い立ちのドラマを作っていただいて、夜7時頃から30分、26回放送されたことがあったんです。それで帯広時代の子供の頃の話をして、遠藤(実)先生が場面に合わせて曲を書いてくださったんですよ。その時に皆さんがこの「涙のラーメン」がいいって言ってくださってレコードになりました。毎回1曲ずつ作っていただいたんで、26曲あるわけなんですよ。「東京に行こうよ」とか「帯広の町よさようなら」とか。

栄子:その場面場面の曲を作ってくださったんです。作詞の石本美由起先生と一緒に。素晴らしいことですよね。1週間に1曲作っちゃうんですから。私たちが話をするとその場で作られるんですよ。あの頃の先生方はすごかったですね。もう職人。それをすぐにスタジオで録音して。その中でレコードになってるのは6~7曲ぐらいかしらね。

--そのドラマは実際におふたりがご自分たちの役を演じられたんですか。

栄子:はい、私たちが直に演じました。ドキュメンタリーみたいにね。最初私たちの話をしたら、あまり信じてもらえなくて、スタッフの方が北海道へ行って全部調べてきたらしいんです。そうしたら全部本当だったと。

敏子:そこから脚本の先生がストーリーを書き始めて。最初に私たちのお母さん役の女優さんがいらしたんですけど、とても上品な方で、「あなたたちダメよ、そんなボロっちい服着てちゃ、もっといい衣装着なさいよ」なんて言われたんです。それで私たちは担当だったフジテレビの千秋さんに「あの方じゃ私たちの母と違って品が良すぎるから替えてください」って言ったんです。私たちは、桜むつ子さんがイメージが似ていていいんじゃないかと推薦して演じてもらったら、もうドンピシャだったんですよ。

栄子:それで私たちはとても演じやすかったですね。ずいぶんと手間ひまがかかったテレビドラマでしたよ。今はもう見られないのが残念なんですけど。「ふたりぽっち」というのは歌にもなっていて、とてもいい歌なんです。

敏子:今年55周年で歌える機会があったら、その「ふたりぽっち」から始めて、ドラマのようにお芝居仕立てでやれたら良いななんて思ってるんですよ。

こまどりのラーメン渡り鳥

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「涙のラーメン」(1963年)に続く、
ラーメン人生歌!!
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--遠藤実先生との想い出をお聞かせください。

敏子:荻窪にあったレッスン場には、橋幸夫さんとかいろんな方がいらしてましてね。私たちのレッスンが終わるとラーメン屋さんに連れて行ってくださって。先生は白いご飯も注文するんです。「これに塩かけて食べると美味しいんだ」っておっしゃってました。ラーメンにご飯に塩なんて、先生病気になるわけだと後になって思いましたよ。私たちにラーメンご馳走するのが楽しみだったみたいですね。

栄子:いつも決まったお店でね。先生のいきつけのお店だったんでしょうね。でも、海のものとも山のものともつかない私たちの面倒をみてくださったのは本当に有難かったですね。

敏子:先生はその頃まだ、タイヘイかマーキュリーでしたか、別のレコード会社にいらしたんですよ。流しの自分を育ててくれた恩義があって移れないって言ってたらしいのね。でも島倉千代子さんの「からたち日記」が大ヒットしたので、コロムビアさんが「ウチに来てください」ってことで、先生もずいぶん悩んだらしいんですけど、自分がコロムビアへ行かないと、あの子たちは育てられないって思ってくださって、決心されたんですって。だから私たちとの出会いがあって、先生はコロムビアへ来たのよ。それは後におっしゃってました。

--最初に先生と会われたのはいつでしたか。

敏子:最初、姉は歌手になる気はなくて、私ひとりがデビューする予定になってたんですよ。東芝で録音もしたんですけど、コロムビアからお誘いいただいて。占いの藤田小女姫さんに相談したら、東芝よりコロムビアへ行った方が世の中に名前が出ると。それで「私には姉がいるんですけど」って言ったら、「長内栄子さんというのは芸能界に非常にいい名前だから、行く時はお姉さん連れて行きなさい」って言われましてね。それはまだ姉には内緒にしてたんてすけど。それでふたりでコロムビアの馬渕(玄三)さんを訪ねたら、誰かに歌を聴いてもらえって言われて。その時たまたま、遠藤先生がピアノを弾きながら、神戸一郎さんにレッスンをつけてらしたんです。それが終わったら先生が私たちの方を振り向いて、「君たちなんでここにいるの?」って言うから、「あのベレー帽かぶった方(馬渕さん)が誰かに聴いてもらえっておっしゃるので」って言いまして。「じゃあ歌ってみなさい」ってことでお聴かせしたら、先生も流しをやってらしたことで、私たちの独特の節回しが気に入ったみたいでしたね。本当に偶然の不思議な出会いでしたね。

栄子:先生は髭をはやして眼鏡をかけて、てっきり40歳くらいかと思ったら、まだ25歳くらいだったんです。私たちが18か19の頃です。6つ上でしたから。でも40くらいにしか見えないんですよ(笑)。馬渕さんにしても、皆さんまだまだ若かったんですね。私はその時は付き添いのつもりで、服飾デザインの仕事も決まってましたから。先生にも、高い声が出なくなっちゃったし歌はもうやらないんですって言ってたんですけど。「下の音だけでもいいから、ふたりで歌えばいい」って言われて困っちゃってね。それじゃあ一年くらいだったら付き合いますけどって、最初は一年の約束だったんですよ。

敏子:新橋に、声の出なくなった時に必ず直す耳鼻咽喉科の先生がいらして、姉もそこへ行ったんですけどなかなか治らなくて、しまいにはその先生が「君たちは歌手は合わないから漫才やったらどうかって言われて」(笑)。それを真に受けて民謡アラカルトみたいな台本まで書いてもらったこともあったんですよ。

栄子:その先生は朝丘雪路さんの名付け親だったりして有名な方だったんですけど、私だけが治らなかったんです。だから「三味線姉妹」にしても、最初の頃の歌は妹が中心になって高いところを歌ってます。低いところはふたりで歌ってますけどね。

敏子:デビューして3年も経つと、姉は、1年の約束だったのに歌はもう嫌だってずっと拒んでたんですけど、私が病気で倒れた途端に声が出るようになったのよ。それも不思議じゃない。ひとりで立派に「ソーラン渡り鳥」とかを歌ってるのを聴いてびっくりしちゃいましたよ。本当に不思議だなと思いましたよね。とにかく私たちはとても恵まれた時代にデビューさせていただいんでいろんな想い出がありますね。長いような短いような。でも今思い返すとあっという間のことのように感じますね。

【こまどり姉妹がラーメン早食い大会優勝者に熱いキス】

こまどり姉妹が新曲「こまどりのラーメン渡り鳥」を発売したのを記念して3月19日、東京・上野のパセラリゾーツ上野御徒町店で、こまどり姉妹&ラーメンパ郎コラボ企画発表会見、こまどりのラーメン・イーティング・イベントを行った。
このイベントはカラオケBOX業界で唯一、本格的なラーメン「ラーメンパ郎」を提供しているカラオケパセラのラーメンパ郎の発案者、ピエロ店長を迎えたラーメン早食い大会で、レコード会社のスタッフら4人が参加。こまどり姉妹が新曲を歌っている間に誰が「こまどりスペシャルトッピング」ラーメンを早く完食できるか、というもの。優勝者には2人から「キスは50年ぶり!」(妹)という熱いキスをプレゼントされた。
その後、姉妹は同特製ラーメンを試食。「お肉とお野菜が多くて、チャーシューも柔らかくて、いい味ですね」(姉)、「すごいボリュームなので、これはゆっくりと全部食べたいですね。カラオケで歌いながら食べたいわね」(妹)と、舌鼓を打った。

こまどり姉妹(長内栄子・敏子)

北海道出身。生活の糧を得るために幼い姉妹も門付を始め、一家で上京後は三味線を手に浅草を流すようになる。59年から作曲家・遠藤実に師事し、同年10月「浅草姉妹」でデビュー。当初は「並木栄子・葉子」名義だったが、ユニット名を公募して、美空ひばりに因んでの「こまどり姉妹」となった。ヒットを連発して紅白歌合戦にも7回連続出場するも、ファンによる傷害事件や闘病などの苦難を味わい、73年に一旦引退。しかし10年後に活動を再開してまた元気に歌い続け、2008年にはデビュー50周年で日本レコード大賞の功労賞を受賞。翌2009年にはドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が公開され、大きな話題となった。

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