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SHOGUN 時代を超えて響く“俺たちの”メロディー

歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー

SHOGUN
時代を超えて響く“俺たちの”メロディー

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取材・文/内本順一 公開日:2014.05.15

SHOGUNが全曲新録音のニュー・アルバム『THE ROAD OF LIFE』を発表した。SHOGUNといえば1979年の人気テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌としてヒットした「男達のメロディー」や、同じ年に放映された松田優作主演ドラマ『探偵物語』の主題歌「BAD CITY」、同エンディング曲「LONELY MAN」などがよく知られているが、今回のアルバムにはそうした名曲のリメイク(原曲のアレンジを活かしたもの)6曲と書き下ろしの新曲5曲を合わせて収録。時代を超えて響く“俺たちの”メロディーのよさと熟練の演奏が味わえる。また今月24日には日比谷野外大音楽堂でクリエイションとの共演ライブ『CROSS ROAD』も開催。決して懐かしいだけではない、現役バンドの凄みを感じさせてくれることだろう。今回「歌謡曲リミテッド」では、SHOGUNのリーダーでヴォーカルとギターを担当する芳野藤丸にインタビュー。これまでの長い音楽家人生を振り返っていただいた。

--僕は『俺たちは天使だ!』も『探偵物語』も高校生の頃に観ていて、SHOGUNのアルバムの1枚目と2枚目は出たときにすぐ買って聴きこんだ世代なんです。

芳野:そうですか(笑)。もう35年以上前ですからね。

--1979年ですもんね。そこから35年経ったいま、SHOGUNの全曲新録音によるアルバムが出て、24日には日比谷の野音でクリエイションと一緒にライブも行われます。ここにきてすごく活気づいている感じですね。

芳野:なんか最近妙にね。久しぶりに動いてるなぁって(笑)。

--楽しめていますか。

芳野:僕のFacebook上の友達もみんなアルバムを購入してくれたみたいで、「聴きました。ご機嫌です」って。ありがたいことに。

--今日はそのニュー・アルバムのこともお聞きしますが、せっかくの機会なので、まずは藤丸さんの経歴からいろいろ伺えればと思っています。

芳野:はい。

--まず、ギターを始めたのは大学に入ってからだそうですね。

芳野:そうです。大学の軽音楽部でバンドを組まされまして、ポジション争いのジャンケンに負けてギターをやることになったっていう。そんな単純な動機で。

--ギター少年だったとか、そういうことではなく。

芳野:全然ないですね。家にフォーク・ギターがあったけど、コードも知らなくて、ただポロンポロン鳴らしてたぐらいだったので。

--でも、ロックは聴かれてたんですよね。

芳野:まあ、好きで。僕らはビートルズ・エイジなんで、やっぱりビートルズにハマってから音楽が好きになって。その前っていうとプレスリーとかじゃないですか。その頃はあんまり聴いてなくて、やっぱりビートルズが衝撃だったんですよね。

--本当はベースをやりたかったとか。

芳野:“ポール・マッカートニー、命”みたいなところがあったので。でもしょうがないですよね。ギターしかあいてなかったから。

--そのときのジャンケンによって人生が決まったという。

芳野:まったくその通りですよ(笑)。

--プロになったのは、つのだ☆ひろさんにスカウトされたのがきっかけだったとか。

芳野:学生バンドの延長で、ビアガーデンみたいなところでアルバイト的に演奏してたんですけど、つのだ☆ひろがどっかから話を聞いて観に来てくれて。いきなり「一緒に叩かせてくれ」とか言って、セッションして、「今度オレ、バンドを作るんだけど、来ないか?」って誘いを受けたんです。その当時、ひろは成毛滋さんと高中(正義)とフライド・エッグっていうハードロック的なバンドをやっていたので、これはぼくもハードロックができるなって思ってたら、「オレは郷ひろみみたいになりたいんだ」とか言い出して、え~って思って(苦笑)。で、ド派手な衣装を着させられて。

--はははは。まあ、ソウルのひとですもんね。

芳野:「メリー・ジェーン」でしたからね。

--でも、そのつのだ☆ひろさんが噂を聞いて観に来たってことは、その当時から藤丸さんのバンド(WISH)は凄いと評判になっていたということですよね。

芳野:まあでも、学生バンドですからね。セミプロ的な。その頃にクリエイションとも……当時はブルース・クリエイションって言ってましたけど、対バンとかやってて。竹田(和夫)くん、すっごくかっこよかったんで、「やだなぁ、またブルース・クリエイションと一緒かぁ」なんて言ったりしてて(笑)。だからその頃から意識はしてたんですよ。

--その繋がりなんですね、今度やる野音のイベントも。

芳野:まあ個人的に親交が深いというわけではないけど、知ってるっていう意味ではホントに昔から知ってるんで。

--なるほど。ちなみにつのだ☆ひろさんは、藤丸さんにとっての恩人的な存在になるわけですか。

芳野:恩人&トゥ・マッチっていうか(笑)。子どもがそのまま大人になったような人なので、ずっと一緒にいると楽しいけど疲れる。でもいろいろ教えてもらいましたよ。なんといっても、ひろのバンド(キャプテンひろ&スペース・バンド)が僕のプロとしての最初ですから。

--そのバンドを辞められてからはジョー山中さんのセッション・バンドでギターを弾くようになったそうですね。

芳野:ちょうどジョーがフラワー・トラベリン・バンドを解散してソロになり始めたときに声がかかって。最初はギターが別にいたんですよ。だからぼくは少しの間ベースをやってたんです。けど、そのギターがジョーにしょっちゅう怒られてて。ジョーは昔、すごくとんがってたからね。演奏で間違えたりしたらステージでも怒鳴り散らすし。

--野音のライブの最中に客が暴れて、ステージ上でボコボコにしたっていう武勇伝もありますもんね、ジョーさん。

芳野:そのとき、ぼくもいたんですけどね(笑)。

--あ、そうなんですか!

芳野:そういう性格だから、前いたギターにも「イモ!」とか怒鳴り散らして、で、「藤丸、おまえギター弾けないか」って言われて弾いたのがきっかけで。そこから本格的にギターでやっていくことになったんです。

--ジョーさんとのセッション・バンドで、フェイセズの武道館公演の前座もやられたそうで。

芳野:はい。そのときにレセプション・パーティみたいなのがあって、それも行ったんですけど、そこでロン・ウッドを紹介されて、あのメタルっぽいテレキャスターのギターを弾かせてもらったりして。ロン・ウッド、すごくいい人でしたよ。

--山内テツさんともそこで知り合ってるんですか。

芳野:テツはそのときもうフェイセズに入ってて、僕はまだペーペーだったからおとなしくしてたんですけど……。これ余談になりますけど、そのときロッド(・スチュワート)がヒルトンだったかな、ホテルのワンフロアを全部借りきってて。で、テツは大酒飲みなんで「部屋で飲もう」ってことで、ジョーとか僕とかみんなでテツの部屋に行ってガンガン飲んでドンチャン騒ぎしてたんですよ。そしたらロッドがコンコンって来て、そのときロッドは風邪ひいてたらしく、「頼むから端の部屋に移ってやってくれないか」って言ってきて。そしたらテツが「うるせー、ばかやろ。ワンフロア全部借り切ってるんだからおまえが移れ!」って言って、結局ロッドがすごすごといちばん端の部屋に移動したっていう。それ、いまでも鮮明に覚えてます。

--うわぁ。すごい話ですね。藤丸さんはその頃おいくつだったんですか。

芳野:23~24かな。で、話は戻りますけど、フェイセズの武道館を観にきていたのが西城秀樹だったんですよ。それによって僕は秀樹に引っ張られて、ロックから歌謡曲の世界へ行ったっていう。

--西城秀樹さんのサポート・バンドでしばらくギターを弾かれてたんですよね。どんな感じだったんですか、秀樹さんとのお仕事は。

芳野:あの頃の秀樹はワイルドで、ライブで走り回ったり、クレーンで30メートル吊られて歌ったりとかしていてね。だから「ロックだな~」って思ったし。バンドのみんなで一緒に曲を作ったりもしましたね。そういう気さくな人だから。楽しませてもらったし、勉強もさせてもらったし、本当にいい経験させてもらいましたよ。武道館もやったし、後楽園球場も大阪球場もやったし、富士の裾野でもやったし。でっかいところ、いろいろやっていたんで。

--その頃、藤丸さんはもうスタジオ・ミュージシャンとしても忙しかったんじゃないですか。

芳野:はい。だから土日は秀樹の営業やコンサートで弾いて、平日はスタジオで別の仕事っていう。で、スタジオではやっぱり同じミュージシャンたちと一緒にやることが多くて、そのままスタジオからスタジオへと同じメンツで動くっていう感じになってたんですよ。みんな気の合う連中だったんで、じゃあもうそのままバンドにしようかって話になって。

--それがSHOGUNの前身のワン・ライン・バンド。

芳野:そう。バンドにしたらハワイでレコーディングできるっていうんで、じゃあみんなで行こう!と(笑)。

--そのバンドでいろんな歌手のバックをやっていたわけですね。

芳野:あ、でも、そのときはまだ個人個人でやることが多かったですね。で、ワン・ライン・バンドがそのままSHOGUNになるわけですけど、ありがたいことにヒットさせてもらったんで、それからはSHOGUNとしてスタジオに呼ばれると、(個人で呼ばれるよりも)ギャラが跳ね上がるんですよ。だからなるべくSHOGUNで呼んでほしかったんだけど、「SHOGUNで呼ぶと高いんだもん」って言われたりして(笑)。

--スタジオ・ミュージシャンとして、その頃ものすごい数の曲に参加していますよね。

芳野:万は大げさだけど、何千曲かはやっている。あ、ひょっとしたら万を超えているかもしれない。

--ギター参加での代表曲といえば太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」とか、石川さゆりさんの「天城越え」とか。

芳野:「いちご白書をもう一度」(バンバン)とか。

--あのギターのフレーズは本当に沁みついてますよ。ああいうのは、その場でアーティストと相談して?

芳野:っていうのもあるし、アレンジャーがちゃんといて、その人の書いた譜面をただ弾くっていうのもありますけど。「いちご白書」は瀬尾ちゃん(瀬尾一三)のアレンジだったけど、確かあのメロディが書いてあって、それをロックっぽくニュアンスつけて弾いたんじゃなかったかな。

--へぇ~。で、1979年からSHOGUNとしての活動が始まって。当初はやっぱりスタジオ中心のバンドとして始まったわけですよね。

芳野:そうですね。まあ、コンサートもやりましたし、ヒットした当初は中野サンプラザなんかもいっぱいにしましたけど、何せ僕らみんなわがままだったんで。SHOGUNをやらなくても個人個人がスタジオワークで忙しかったから、生活はできてたんですよ。だから正直言うと、当時はあんまりバンドっていう意識を持たないままやってましたね。集まる場所にはなってたし、テレビに出て演奏したりもしましたけど、終われば「じゃあ、お疲れ!」って言ってすぐ帰っちゃうみたいな。

--みんなでお酒飲んだりすることもなく。

芳野:なかったですね。所詮、一匹狼の集まりだったんで。

--SHOGUNとしてデビューしてすぐに「男達のメロディー」が大ヒットしました。『俺たちは天使だ!』の主題歌でしたが、当時、テレビドラマの主題歌でああいうふうに歌ものでありながら洋楽テイストのサウンドでっていうのは珍しかったですよね。

芳野:ゴダイゴがやってましたね。「ガンダーラ」とか。

--ああ、そっか。『西遊記』(1978年。主題歌がゴダイゴの「モンキー・マジック」で、エンディングテーマが「ガンダーラ」だった)のほうが『俺たちは天使だ!』(1979年)より前でしたっけね。

芳野:うん。僕らはそのあとですから。全部、日本テレビ音楽が管理して、テレビドラマの主題歌にバンドをつけるっていう流れができてきてたんですよ。それで『俺たちは天使だ!』のときもバンドを探してたみたいで。日本テレビ音楽は麹町にあって、そこの6階がスタジオになっててね。そこでたまたま僕らが別の仕事をしていて、出版のお偉いさんがそれを観にきて「おまえら、やってみないか」って。それがきっかけなんです。ただ、ワン・ライン・バンドって名前はよくないから変えろって言われて。ちょうどその頃、島田陽子さんの『将軍 SHOGUN』って映画がアメリカで話題になってたから、「SHOGUNってバンド名でどうだ?」って専務か誰かに言われて、「いいですよ。お任せします」って言って、あれよあれよというまにSHOGUNになって(笑)。あんまりこだわりがなかったんですよ。というか、僕らは演奏してるだけで出版がどうの原盤がどうのっていう仕組みとかも何もわかってなかったですから。

--そんなふうに始まったバンドが35年後のいまも続いているとは……。

芳野:思いもしませんでしたね(笑)。

--「男達のメロディー」は、ドラマのイメージに沿って作られたものだったんですか。

芳野:いや、なんにも知らないで、ただ与えられた曲を歌っただけで。あれはケーシー・ランキン(米・カンザス州出身のミュージシャンで、ワン・ライン・バンドがショーグンになった際に加入。2009年に死去)が作曲したんですけど、ハッキリ言うと田舎くさいカントリーだったので、僕は「こんな曲、歌いたくないよ」って言ってたんです。正直、嫌いだったんですよ。でもやることになって、ふてくされながら歌ったのがあれなんです。

--そうだったんですか(笑)。

芳野:うん。投げやりに歌ってるんですよ、実は(笑)。

--それが50万枚を超える大ヒットになって、どんな気分だったんですか。

芳野:途端に好きになりました(笑)。そんなもんですよ。

--ちなみにケーシー・ランキンさんとはどういう繋がりがあったんですか。

芳野:いや、当時のプロデューサーが「日本にいるアメリカ人でこういう曲を作った面白いやつがいるから」って連れてきたんですよ。で、「メンバーにどうだ?」って。ゴダイゴもそうだけど、外国人が入ってるってだけで洋楽チックに見えるじゃないですか。そういう単純な発想ですよね。だから歌詞もSHOGUNは英語のものが多いんです。ケーシーは日本語じゃ書けないから。で、僕らは曲は作るけど、歌詞は誰も書けなかったから。

SHOGUN の2枚目アルバム
「ROTATION」

(1979年12月5日発売)
テレビドラマ『探偵物語』で使用された「BAD CITY」と「LONELY MAN」を収録した大ヒットアルバム。
amazonで購入する

--なるほど。で、『探偵物語』がスタートして「BAD CITY」と「LONELY MAN」がヒットしたのは、その約半年後でしたよね。あの2曲はドラマのイメージで作られたものだったんですか。

芳野:あれは、こういうドラマがあるから都会的な曲を作ってこいって言われて、で、ケーシーが作ったのが「BAD CITY」で、僕が作ったのが「LONELY MAN」だったっていう。

--都会的というイメージだけで作ったわけですか。

芳野:そうです。フィルムも観てなかったし。「松田優作って誰だ?」なんて言っていましたからね、当時。

--そうだったんですか……。でもドンピシャですよね。『探偵物語』の優作さんと言えば、あの2曲が映像と一緒にまず浮かんでくる。

芳野:なんか、優作さんとSHOGUNってセットになってるイメージがありましたからね。

--いや本当に。優作さんとお会いしたことは?

芳野:ありますよ。喧嘩っ早いので有名で、少しでも気に入らないと怒るっていうから、会わせてくれる人がヘンに緊張しちゃって(笑)。僕らは「どう言われようが、僕らが作った曲なんだから」なんて言ってたんですよ。そしたら部屋に入ってきたときからものすごく低姿勢で、紹介してくれた人がビックリするくらいで。

--それだけ曲を気に入ってたんでしょうね。当時、優作さんはボズ・スキャッグスの『ミドル・マン』を気に入っていたそうですから、「LONELY MAN」のあの感じもフィットしたんだと思います。

芳野:そうなんですかね。そのあと優作さんのアルバムにも曲を書かせてもらったりしましたけど。

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SHOGUN

1978年、芳野藤丸を中心に腕利きスタジオ・ミュージシャンで編成。
1979年、テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の音楽担当に抜擢、その主題歌「男達のメロディー」が50万枚を超えるヒットとなった。
同年、松田優作主演のドラマ『探偵物語』でも音楽と主題歌を担当し、オープニングテーマ「Bad City」、エンディングテーマ「Lonely Man」ともに大ヒットを記録。2010年、SHŌGUN名義での活動に復帰。現在は、芳野藤丸(Guitar & Vocal) ミッチー長岡(Bass & Vocal) 岡本郭男(Drums)佐倉一樹(Keyboard)で活動。

オフィシャルホームページ:
http://sho-gun.net/

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