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32年ぶりの新曲で“CDデビュー”!太川陽介

歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー

32年ぶりの新曲で“CDデビュー”!
太川陽介

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インタビュー、文/濱口英樹 公開日:2014.12.17

--デビューのきっかけは桜田淳子さんの主演映画『スプーン一杯の幸せ』(75年)の相手役に応募したことだと聞いています。筋金入りの淳子ファンだったようですね(笑)。

太川:実は「わたしの青い鳥」(73年)の頃はそれほどでもなかったんです。でも「十七の夏」(75年)とか、あの頃からファンになりましたね。特に好きだったのは「白い風よ」(75年)のジャケット。自転車のハンドルを握りながらセーラー服姿で微笑む姿に痺れました。当時、高校2年で「こんな子が学校にいたらなぁ」と思ったけど、あんなに可愛い子はいなかった(笑)。

--それほど淳子さんのことをお好きだったのに、応募書類が締め切りに間に合わなかったというのは事実ですか?

太川:あとで聞いた話ですが、そのようです。「返事、来ないな~」と思って『明星』を見たら「クランクアップ」と出ていて(笑)。

--にも関わらず、その履歴書が亡き相澤(秀禎)会長の目に留まって、スカウトされたとか。

太川:そのいきさつは昨年、会長が亡くなる直前に知らされました。僕はデビューして38年経ちますけど、意外と知らないことが多いんです。自分自身のことにあまり興味がなかったからかもしれませんが。

--デビューは76年12月。キャッチフレーズは“昇れ!太陽くん”でした。サンミュージックという所属事務所を体現するような芸名にも期待の大きさが感じられます。当時は新御三家の全盛時代。そこに新人アイドルとして17歳の少年が参戦したわけですね。

太川:確かに当時の新御三家はパワフルな西城(秀樹)さん、音楽性の野口(五郎)さん、アイドル性の郷(ひろみ)さんという感じでしたよね。そういう意味では僕は郷さんの路線に近かったのかな? 実際に歌番組の収録とかに行くと、郷さんのファンから声を掛けられることが多かったですし。

--甘い顔立ちでアイドル性を備えながらも、デビュー曲「陽だまりの中で」(作詞:いではく/作曲:穂口雄右)はフォーク調の作品でした。元フォーク少年の太川さんにとっては歌いやすかったのではないですか?


1976年12月20日に発売されたデビューシングル「陽だまりの中で」

太川:逆ですね。簡単そうですごく難しい。当時は歌唱力がなかったということもありますが、不思議なことに、この歌を歌うときは17歳の頃の歌い方に戻ってしまうので、いまだに上手く歌える自信がありません。

--しかし、77年7月にリリースされた第3弾「Lui-Lui」(作詞:石原信一/作曲:都倉俊一)では思い切りアイドル路線にシフトして、見事にブレイク。この曲で多くの新人賞を受賞して、以後、「Lui-Lui」はそのポーズと共に太川さんの代名詞となります。

太川:レコーディングでは「リズム感が悪い」「声に芯がない」と、都倉先生から散々ダメ出しされました(苦笑)。でも大ヒットしたわけではないのに、今でも皆さんの記憶に残っているというのは、考えてみたらすごいことですよね。最近はイベントで歌うことも多いんですが、「Lui-Lui」はイントロからお客さんがワーッと盛り上がるんです。25~26歳の頃に「もう歌わない!」と封印した時期もありましたけど、この曲のすごさは今になって分かった気がします。

--10年ほど前、NHKの『思い出のメロディー』で「Lui-Lui」を歌われる姿を観て、異常にテンションが上がった記憶があります。ところで「Lui-Lui」ってどういう意味なんでしょうか(笑)。

太川:僕も当時、訊いたんですけど「意味はないよ」と言われました(笑)。タイトルを付けたのは(担当ディレクターだった)飯田久彦さんだったと思いますよ。もしかしたら飯田さんが歌われた「ルイジアナ・ママ」(62年)から来ているのかも・・・。だとしたら面白いですよね。ちなみに都倉先生が歌ったデモテープには、すべて「ダバダ~」で録音されていました。その歌い方がまたカッコいいんですよ(笑)。どこかに残ってないかなぁ。

--キャンディーズを育てた穂口先生、山口百恵さんやピンク・レディーを育てた都倉先生、そして筒美京平先生など、錚々たる作曲家から作品を提供されていますよね。

太川:そうなんです。「ヨーヨー」(78年4月/作詞:杉山政美)という曲では筒美先生が「こういうタイトルでいきたい」と言ってくださって、サビの♪ヨ~ヨ~ というフレーズもはじめから決まっていました。当時は作曲家にしても作詞家にしても、作家の先生たちが「彼にこういう作品を歌わせたい」という熱気がありましたよね。

--アイドル時代の太川さんといえば『レッツゴーヤング』も忘れることができません。番組内で結成されたサンデーズには、同世代のアイドル候補生がひしめいていましたが、グループ内はどんな雰囲気だったのでしょう。

太川:同期デビュー組では狩人や(川崎)麻世がいましたけど、みんな仲が良かったですよ。もちろんソロで歌うときにはいい表情をしようとか、他のメンバーと競う気持ちもありましたけど、そこは切磋琢磨というか。でもサンデーズはやはり仲間でしたからね。いい意味で競争しながらもバランスは良かったんじゃないかな。たとえば野球でもチームメイトとして一緒にやっていくけど、レギュラーを獲れるかどうかという争いはあるわけじゃないですか。それと同じで、ゲームに勝つために一生懸命プレーをするけど、その中で自分が輝けるように努力する。そうやってみんな一丸となってサンデーズというグループを盛り上げようとしていたと思います。

--太川さんをはじめとする1期生たちがサンデーズの土台をしっかり作ったからこそ、『レッツゴーヤング』は長寿番組になったのかもしれませんね。

太川:番組は毎週月曜に収録されていましたが、いつも本番1週間前にサンデーズコーナーで歌う洋楽の譜面や音資料(カセットテープ)を渡されていたんです。当時は今と違ってモニターもカンペ(カンニング・ペーパー)も一切なしですから、何が何でも翌週までに覚えなくてはいけない。そういう意味では鍛えられたし、苦手だったトーク力も身に着いたような気がします。

--79年からは司会として7年間活躍されましたが、番組からの降板はご自身から申し出たとか。

太川:並行してドラマにも出演する中で、少なくともアイドルよりは俳優の方が向いていると思ったんです。20代後半を迎えて、司会を一生の仕事にする気もなかったですから、肩書を“俳優”にしようと。それで86年に他のバラエティ番組のレギュラーも含めてすべて降板しました。

--しばらくはスケジュール帳が真っ白で、一時的に引きこもり状態にもなったということですが、30歳のときに『ANYTHING GOES』というミュージカルに出演されてからは舞台俳優としての活躍が始まります。それから四半世紀。私生活では幸せな家庭を築かれ、俳優としての地歩を固めた55歳になっての再ブレイクですが、最後に来年以降の抱負をお聞かせください!

太川:まったく仕事がない時期を経験しているせいか、僕は「半年後、仕事があるだろうか」と思うと心配で寝られなくなるんです。こういう状況になっても、そういう不安はついて回りますが、とにかく自分にできることをきちっとやるしかない。今までも楽じゃない道をあえて選んで「大変な方が楽しいだろう」という精神でやってきましたが、これからも同じ字ではありますけど「楽」よりも「楽しい」道を選んでいきたいと思っています。

平成26年11月21日 ビクタースタジオ会議室

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太川陽介

1959年、京都府生まれ。76年12月「陽だまりの中で」で歌手デビュー。77年、3rdシングル「Lui-Lui」がヒットし、レコード大賞をはじめ各音楽祭の新人賞を獲得。同年、NHK『レッツゴーヤング』の番組内グループ“サンデーズ”の初代メンバーに選ばれ、卒業後は司会を担当。86年まで番組の顔として活躍する。89年、宮本亜門演出のミュージカル『ANYTHING GOES』出演を機に舞台俳優としても頭角を現し、現在までに数々の作品に出演。TVドラマやバラエティ番組でも活躍しており、テレビ東京で不定期放送されている『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』は高視聴率を獲得し、DVDも好評発売中。2014年9月には初の著書『ルイルイ仕切り術』(小学館)を上梓する一方、32年ぶりの新譜『時の旅人』をリリースするなど、各方面から熱い注目を浴びている。

オフィシャルブログ:
http://www.sunmusic.org/profile/tagawa_yosuke.html

 

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