歌謡曲リミテッド スペシャルインタビュー
藤井香愛 インタビュー
ハスキー・ボイスが魅力の「新世代歌謡歌姫」デビュー
取材/鈴木啓之 取材・文/竹部吉晃 公開日:2018.07.01
ユニークな経歴を持つ遅咲きの新人、藤井香愛に大きな期待が寄せられている。大人の女性の色気と印象的な低音とハスキー・ボイスが魅力が同居したバランスが魅力だが、それ以上に惹きつけられるのが、そのキャラクターと存在感である。ハートの強さと根性を武器に、これから大いに活躍を見せてくれそうだ。新世代歌謡歌姫、藤井香愛が7月4日に「東京ルージュ」でデビューを果たす。
「わけあり気に歌ってよ」と言われました(笑)。
――先日行われたデビューコンベンションはいかがでしたか。
藤井:緊張しました。一般のお客様ではなく、大勢の音楽業界やマスコミの方を前にして、普段はあまり緊張しているようには見えない、と言われるんですけど、すごく緊張して、これで私の将来が決まるんじゃないか、というくらいでした。
――その後いろいろなメディアにニュースが出ましたが。
藤井:本当にデビューできるのかな、という気持ちをずっと持っていたので、メディアに自分のことが出始めてから、ようやくデビューを実感することができました。
――ステージを拝見して、これほどの逸材が今まで何をしていたのかと、思ったんですが、芸歴は長いんですね。小2からダンスレッスン、ボイトレをしていたそうですが。
藤井:子どもの頃からカラオケや歌を歌うことが好きだったので、小学2年のときに自分からダンスと歌をやりたいと言いだしたんです。安室奈美恵さんが大好きで、歌って踊ることに憧れました。
――安室奈美恵に憧れる人は多かったでしょうね。
藤井:安室奈美恵さんのCDはほとんど買っていました。細長いシングルCD。あとはSPEEDです。島袋寛子さんは、小学6年生でデビューしたので、私もレッスンをがんばれば6年生になったらデビューできるくらいに思っていました(笑)。
――ダンスミュージックが好きだったんですか。
藤井:小学生の頃は流行りのJポップを聴くことが多かったんですが、親と一緒に「演歌の花道」を見ていました。だから、子どもの頃から演歌や歌謡曲には馴染みがあるんです。その後、中学1年のときに知人の勧めで山口百恵さんを聴いて、さらに歌謡曲を好きになりました。
――それは早熟ですね。
藤井:でも、中学2年のときに、ずっと続けていたボイストレーニングとダンスレッスンを反抗期で辞めちゃったんです。教えられてやるんじゃなくて、自分の好きなようにやりたくて……。
――中2は難しい年頃なんですね。
藤井:通っていた中学は、校則が厳しく、芸能活動ができない学校だったんです。それでは歌手にはなれないと思って、本来ならそのままエスカレーター式に私立の女子高に行けるはずだったんですけど、自分で芸能活動ができる高校の資料を探して、両親に説明して、別の高校に行ったんです。
――高校生でモデルを始めていますが。
藤井:ファッションや自分の好きな音楽を聴いたり、作ったりしている時期に、渋谷のセンター街で雑誌「EGG」のモデルにスカウトされました。
――そして、ヤクルトの公認パフォーマンスアーティスト DDS として活躍します。
藤井:最初はDDSという15人~20人のダンスチームで踊っていたんですが、途中からダンスボーカルユニットを結成して、サポーターソングを歌うという話になり、ツインボーカルをやらせていただきました。DDSから7人選ばれたダンサー5人とボーカル2人で。私はずっと、歌を歌いたいということをアピールしていたんです。
――試合の途中で歌ったりしていたんですか。
藤井:試合前に歌って、あとは5回と7回。5回はダンスで、7回は傘を持って東京音頭です。
――ヤクルトの主催ゲームすべてとなると大変ですね。
藤井: 1年間やりました。デーゲームも多かったので、日に焼けました(笑)。
――でも、体力と度胸がつきましたよね。
藤井:神宮球場は、3万人くらい入るので、すごいことをやっていたなとは思うんですけど、当時は若かったのか、あまり実感がわきませんでした。あと、球場が広いので、真ん中で歌っていても人の顔が見えない(笑)。結構自由にやっていました。
――その後、様々な仕事をされていますが、そのとき抱いていた目標は、今回のようなソロデビューだったのですか。
藤井:神宮球場で歌っているときからグループでなく、ソロでやりたいと思っていました。私は集団行動が向いてないんです。楽しいことは好きなのですが、仕事として考えたときに、他の人とのモチベーションの違いを感じるんです。
――子どもの頃から出たがりというか自己主張が強い性格だったのですか。
藤井:そうですね、やるからには1番がいいと思っていました。
――その頃は、聴く音楽の趣向も変わっていきましたか。
藤井:R&Bも好きでした。私の声はロックやジャズも合うんじゃないかと周りの人に言われて、歌う機会もあったんですが、自分が歌って心地よい音楽は歌謡曲でした。あと、見た目と歌のギャップがあったら面白いのではないかと、自分で思っていたんです。神宮球場で歌っていたときや、雑誌モデル時代は、見た目が結構ギャルだったので、ギャルが演歌を歌ったら面白そうだなと考えていました(笑)。
――自己プロデュース能力があるんですね。そして、昨年のオーディションでファイナリストになり、デビューとなりました。自発的にオーディションに参加されたのですか。
藤井:ヤクルトの仕事が終わってから、カラオケのDAMのガイドボーカルの仕事をやらせていただいたり、自分で曲を作ってライブハウスで歌ったりしていました。ジャズバンドに混じって、私の好きなちあきなおみさんや松田聖子さんの曲をジャズやR&B風に歌ったり。そういう活動しながら、いろいろなオーディションを受けていたんですが、全然ダメで……。アルバイト生活だったので、収入も少ないですし、25歳くらいからあと1年やってみてダメだったら辞めようという日々が続いていたんです。
――現実は厳しいですね……。
藤井:27歳の誕生日の時、半分諦めかけている自分と続けたけど現実的に考えると厳しいと考える自分がいて、すごく悩んでいたんです。それを親友に相談したら、「香愛が歌っているところはすごく好きだよ」と言ってくれて……。その日は2人で酔っ払って、号泣しながら「がんばろう!」と一念発起して、次の日に履歴書を10枚くらい書いていろんなオーディションに送ったんです。
――いい話ですね。
藤井:その中のひとつが「徳間ジャパン×ラジオ日本オーディション 歌姫、歌彦を探せ!!」」でした。私の中では、受かるんじゃないかという、確信がありました。演歌歌謡系のオーディションで、自分の声質や年齢を考えると、受かるんじゃないかと勝手に思い込んでいたんです。でも、いざ「ファイナリストに選ばれました」という連絡が来たときは、本当にうれしくて震えました。ファイナリストは12名いて、最終オーディションで落ちてしまったのですが、たまたま今の事務所の社長が声を掛けていただきまして。
――グランプリだけが大成するわけではありませんし、原田知世のような例もありますから。最終オーディションでの反省点は?
藤井:基本的な発声などもそうですが、表現力が足りませんでした。。レッスンを積みながら、勉強しなきゃいけないことがたくさんあるんだな、と思いました。でも、その後のレッスンは毎回すごく楽しかったです。家に帰ってから教えてもらったことをノートにまとめて、それを見て次のレッスンに臨むというような日々でした。レッスンのない日も次はどんなことを教えてもらえるのだろう、どれだけ教えてもらったことができるかな、と考えるだけで楽しかったです。
――デビューが決まった時の感想は?
藤井:信じられなかったですね。そういうこともあるかもしれないくらいの気持ちでした。
――まだ半信半疑だったと。実際に、このデビュー曲をもらったときの感想は?
藤井:「東京ルージュ」というタイトルを見たとき、私が東京生まれで東京育ちなので自分のための曲なんだと思って、ドキッとしました。
――歌詞は過激な内容ですが。
藤井:見方によっては禁断の恋愛と捉えることもできるのですが、私は恋愛をすると一途に燃え上がるタイプなので、歌詞には共感しました。「好きになればなるほど明日が来るのが怖い、でもそれでも良い、この気持ちは止められない」というところはそのまま私の気持ちを代弁しているなって。
――「あなたとシャワーを浴びるのはこれで何度目かしら」という一節が際どいですよね。
藤井:弦先生からそこのフレーズは「わけあり気に歌ってよ」と言われました(笑)。デビューが10代や20代前半だったら、この歌詞にはならなかっただろうなと思います。今の年齢の私だから歌える曲なのかなと思います。
――歌いこなすまではいかがですか。
藤井:サビ前のところの、感情を息遣いで表現するといったテクニカルな部分はたくさん練習しました。レコーディング前日の夜中まで家で練習したのですが、どうしてもできなくて悔しくて涙が出てきて……。でも、歌うことは辞められなくて、泣きながら歌っていました。明日のレコーディングでは歌えないかもしれないという精神状態までに陥ってしまいましたが、朝起きて歌ってみたときに、完璧かどうかは分からないのですが、自分の理想にかなり近づけることができたんです。自分が納得できる歌が歌えてよかったです。
――カップリングの「モナリザ」もいい曲です。こちらも大人の恋愛の歌ですね。
藤井:「モナリザ」は歌詞を理解するのに時間がかかりました。失恋した女の人の歌なのですが、愛を売るお店というフレーズの意味がわからなくて……。私はてっきり夜のお店のことだと思っていました。クラブの女性がお客さんに恋をして、プロポーズされるつもりで、プレゼントももらったのに、それがウソだったという歌なんだと思っていました。
――すごい妄想力(笑)。
藤井:それを作詞の岡田先生に言ったら、「違う!」と言われて冷や汗をかきました(笑)。本当の歌詞の意味は、純粋な女性が婚約してもらえると思っていたのに失恋してしまって、「モナリザ」が泣いているようで笑っているような表情で旅に出て、そこで心が洗われて本当の愛を見つめ直す歌だと教えてもらいました。それからは、不純な気持ちは捨てて純粋に歌おうと思いました。
――歌手デビューの夢がかなって、どんな反響がありますか。
藤井:周りの人にビックリされます。本当に歌手デビューが実現して、しかも歌謡曲というジャンルなので。神宮球場で歌っていたときのファンの方がずっと応援して下さっているので、励みになります。あと、ネイリストの親友がいるんですが、その子も自分の夢の一つとして一緒に頑張っていたんで、家族と同じくらい喜んでくれました。なので、「私の専属ネイリストにしてあげるよ」と言っています(笑)。
――今後の目標は?
藤井:神宮球場に戻ってヤクルト戦で始球式をやることです。あとはやっぱり、新人のときにしか獲れない新人賞も獲りたいです。
――当面は、その新人賞を目指してデビュー曲「東京ルージュ」を歌っていくと思いますが、将来的にはカバー曲も聞いてみたい気がします。
藤井:ちあきなおみさんに憧れていて、「喝采」「黄昏のビギン」はずっと歌わせていただいています。カラオケでは五輪真弓さん「恋人よ」、内藤やす子さん「弟よ」よく歌います。
――プロフィールに、すぐに曲を覚えられることと書かれていますね。
藤井:カラオケのガイドボーカルの仕事のおかげです。曲を聴いていると、コード進行はこうだから次はこういうメロディだろうなというカンが働くんです。その仕事で、レコーディングには慣れていたので、「東京ルージュ」のレコーディングはサクサク進んで、今までやってきたことは無駄じゃなかったと思いました。
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【CDリリース情報】 『東京ルージュ』 <収録曲> |
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藤井香愛
東京都出身 1988年7月26日生まれ
小学校2年生からダンスレッスン、ボイストレーニングを始め、高校時代には読者モデルを経験。2008年には東京ヤクルトス
ワローズ公認パフォーマンス・アーティスト「DDS」に参加。公認サポーターソングを歌うユニット「DAD’ S」ではメインボー
カルを担当。
「2017年徳間ジャパン×ラジオ日本オーディション 歌姫、歌彦を探せ!!」ファイナリスト。
印象的な低音とハスキー・ボイスが魅力の、新世代歌謡歌姫(ディーバ)。
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